たくさんのお手紙を、手放しました
先日、長年とっておいた手紙の束を処分しました。
読み返すこともなく、思い切ってドバっと。
読んでしまったら、きっと思い出があふれて止まらなくなると思ったからです。
手紙に詰まった気持ちは、もう心の中にちゃんと残っているから大丈夫。
今はそう思えるようになりました。
文通が趣味だった10代のころ
最初に手紙を書き始めたのは、小学校のときの転校がきっかけ。
引っ越して離れた友達と、お手紙のやりとりを始めたのが始まりでした。
中学生〜高校生になると、文通が私の趣味に。
同年代の人だけでなく、英語が好きだったこともあり、アメリカやチェコスロバキア(当時)の方とも文通していました。
ポストをのぞいたり、郵便屋さんのバイクの音にワクワクしたり。
初めてエアメールを出すときは、ドキドキしながら郵便局へ行ったのをよく覚えています。
今ではネットで何でも調べられる時代だけど、あのころの“わからないことに向き合う時間”が、すごく愛おしく感じます。
続いていたご縁と、今の気持ち
大学生になると、学校やバイトに忙しくなって、だんだん手紙のやりとりも減っていきました。
でも、10年近く続いたご縁もあって、実際に会って遊んだこともあります。
お互いに結婚し、出産し、やり取りは年賀状だけに——。
ふと、「今どうしているのかな」と思い返すこともあります。
元気に暮らしていてくれたらいいな。
中学生の友達との手紙も
中学時代は、学校の友達と日常的にお手紙のやりとりをしていました。
学校での出来事、友達や恋の話、受験のこと…。
イラストやシールもたくさん使って、ちいさな交換ノートのような楽しさがありました。
当時のお手紙も今回一緒に処分しましたが、今でも楽しかった気持ちははっきり思い出せます。
手紙を書かなくなった今
気づけば、今はもう手紙を書くこと自体がほとんどなくなりました。
メールやSNSが主流になって、長文を書くこともめっきり減って。
年賀状も「忙しいから」と出さなくなり、いただいた賀状に返事を出せなかったことが少し心残りです。
ちゃんと「賀状じまい」をすればよかったな、と。

思い出と一緒に出てきたもの
手紙と一緒に出てきたのは、雑誌の付録だったフォトアルバム。
「なかよし」の付録でしたが、私は「りぼんっ子」でした。
処分前に写真だけ撮っておきました。懐かしい記憶も、今はそっと心にしまって。
さいごに
たくさんのお手紙に込められた思い出に、あらためて「ありがとう」の気持ちを。
文通していた皆さん、楽しい時間をありがとうございました。